あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
詩篇57篇10節
あなたの恵みは大きく天にまで及びあなたのまことは雲にまで及ぶからです。
詩篇57篇10節
3月度のテーマ聖句は、テサロニケ人への手紙第一5章16-18節です。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。(テサロニケ人への手紙第一5章15節)
”The Message”という英語の意味訳聖書(著者はEugene H. Peterson)では、次のような訳になっていました。
13-15 Get along among yourselves, each of you doing your part. Our counsel is that you warn the freeloaders to get a move on. Gently encourage the stragglers, and reach out for the exhausted, pulling them to their feet. Be patient with each person, attentive to individual needs. And be careful that when you get on each other’s nerves you don’t snap at each other. Look for the best in each other, and always do your best to bring it out.
13-15 仲良く、それぞれが自分の役割を果たしなさい。私たちの忠告は、怠けている者たちに行動を起こすよう警告することです。(仲間から)はぐれてしまっている者にはそっと励ましてあげること、疲れ切っている者には手を差し伸べ、立ち上がらせなさい。一人一人に忍耐強く接し、個々のニーズに気を配ること。そして、お互いにイライラしたときには、キレないように注意すること。お互いの長所を探し、それを引き出すために常にベストを尽くしなさい。(試訳)
聖書の告げる内容を私たちの日常の生活の中でどう受け止めるべきか、という視点において、毎日の施設内でのお互いの関係という具体的な適用の場所を思えば、この訳はわかりやすいのではないかと思います。
今月のテーマ聖句においては、悪という言葉に対応して善という言葉が使われていることに注意を向けてほしいと思います。悪に悪ではなく、悪に善をもって対するということです。
「悪」と日本語に訳されてる言葉は、英語では”bad”であり”evil”です。”bad”は、名詞では、”悪い[正しくない]行為[行動]”という意味だとありました。
形容詞では”〔基準に照らして〕不十分な、良くない、悪い”とか”〔人や行為が〕不道徳な、邪悪な”に続いて、”〔言葉遣いが〕間違った、正しくない”。”〔表現が〕下品な、不快な”。”〔気質や状況が〕怒りっぽい、険悪な”などの意味が続きます。
”evil”は、名詞では”(邪)悪、不正、不道徳”、”悪事、不正な[不道徳な]こと”。”悪の源、邪心”の意味があり、形容詞では、”道義に反する、不道徳な、よこしまな”ことを指す言葉として用いられます。
原文で使われている言葉をみてみると、本来的にあるべき姿ではない、悪い性質(あるいは本質)を指していて、道徳的に間違った、考え方の方向性、感じ方の方向性、行動の方向性を指しています。
日本語で「返す」と訳されている言葉は、(おなじものを)返す、お返しするという意味のことば(英語ではrepaid)が使われています。対して「努めなさい」という部分は、「熱心に追い求める、熱心に獲得しようと努める」という意味の言葉が使われています。
熱心に目指すべきもの、追い求めるべきものは、「善」です。原文を確認すると「内的な価値、道徳的なよさについて」あらわす言葉として用いられています。相手が悪い心からしてきたこと、言ってきたことに対して、正しい心で、良い心で対応することが求められているという意味になります。
今月のテーマ聖句を一緒に考えていくのは、いつも顔を合わせているお互いの間です。毎日、同じ場所で顔を合わせ、時間を共に過ごしている仲間でありチームの中でです。その中で、悪には悪で対処するのではなく、悪に対して善で対処することを考えてみたり、実際に取り組んでみたりしたいと願っている訳です。
2月は新約聖書のテサロニケ人への手紙第一 5章15節です。
「だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。」(新改訳2017)
です。
12月度のテーマ聖句は、新約聖書のヨハネの福音書1章14節です。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
11月度のテーマ聖句は、コリント人への手紙第一13章4-7節です。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」
10月度のテーマ聖句は、新約聖書のローマ人への手紙8章28節になります。
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
9月度は、旧約聖書のイザヤ書44章2節です。
「あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける主はこう言う。恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。」
「わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。」と呼びかけられていますが、直接的にはヤコブから生まれ出た子どもたちが一つの民族として増え広がったイスラエルに対して語りかけられている言葉ですが、今を生きる私たちにも響いてくる言葉です。
お母さんのおなかの中で、私を造ってくださった神さまがいることを聖書は語り告げます。旧約聖書の詩篇139篇(リビングバイブルからの引用)には、次のように歌われています。
神は、精巧に私の体のすべての器官を造り、
母の胎内で組み立ててくださいました。
こんなにも複雑かつ緻密に
仕上げてくださったことを感謝します。
想像することもできないくらい、すばらしいことです。
あなたのわざは驚くべきもので、
私にはとうてい、理解することはできません。だれも立ち入ることのできない場所で
私が組み立てられた時、あなたはそこにおられました。
生まれる前から、まだ呼吸を始める前から、
あなたの目は私に注がれ、
私の生涯にわたるご計画も、
練り上げられていたのです。主よ。
あなたが私をかた時も忘れずにいてくださることは、
ほんとうにたいせつな事実です。
あなたは一日に、数えきれないほど何度も、
私のことを思い起こしてくださいます。
眠っているときも、朝までずっと、
私のことを考えていてくださるのです。
神さまが私という存在を造り、いのちを与え、生きるものとしてくださったことを聖書は告げ、その神さまが人生を導き、守ってくださることを告げています。
新学期が始まるときに、楽しみで楽しみでしかたのない子どもたちもいれば、不安でいっぱいになったり、恐れを抱く子どもたちがいないわけではありません。
でも、そんな恐れに、不安に「あなたを助ける主はこう言う。恐れるな。」と語りかける聖書の言葉に耳を傾けてほしいのです。
大丈夫、大丈夫だよ。神さまが一緒にいて守ってくださる。君のことは誰よりもわかってくれる神さまが、一緒にいて守ってくれるから。
8月度は新約聖書のピリピ人への手紙2章3節です。
「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」
少し難しい言葉が使われていますが、リビングバイブルでは「自己中心であったり、見栄を張ったりしてはいけません。謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考えなさい。」と訳しています。
夏休みは、いつもよりも長い時間を一緒に過ごします。その中で、自分のことばかり考えていたり、表面的な関りではなく、お互いのことを思いやり関係を深めることができる時間を過ごしてほしいと願っています。
いつも、自分がしたいことはできません。時には我慢したり、譲ったり、自分の気持ちと折り合いをつけるスキルも磨かなければなりません。小さな家族の関わりの中では、自分の思いを尊重してくれることも多いかもしれません。でも、めぐみとまことの中では、必ずしたいように出来るとは限りません。
パウロ先生がピリピにいるクリスチャンたちに書き送った「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」という言葉は、今も真実だと思っています。
7月のテーマ聖句は、旧約聖書の伝道者の書7章14節です。
「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。」
新改訳2017という翻訳聖書の訳ですが、以前は「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。」と訳されていました。
人生の中には、いろいろな日、いろいろな出来事があります。晴天のような日もあれば、嵐の中を過ぎるような日もあります。何もかも順調に進んでいるように思えるとき、何もかもうまくいかないと落ち込んでしまうとき。
でも、それでも嵐の日も、雲の上には変わらず太陽が輝いています。どんな時でも、神さまの存在が私たちの人生を支えます。順風の日には感謝をしたい。当たり前ではなく恵みを覚えて。逆風の日には人生を思いめぐらしたい。自分の生き方を再検討したい。神さまの恵みを忘れて生きていなかった反省したい。
うまくいかないときは、へこんだり、落ち込んだりするけれど…でも、そういう時間が自分をちょっとだけ成長させてくれたり、強くしたりしてくれることもあるのです。
気がつけないことも多いのですが、うなくいかない時もやっぱり神さまの愛が共にあって支えてくださるのです。